きょうも歯科医はゆく。
信長の史跡めぐり その3
本能寺の変
智光秀の裏切りにより、信長は暗殺されます。
何のために暗殺をしたのだろうか?
いろんな説があるようです。

長にいじめられたから?
光秀は、実力主義の信長軍団で出世した優秀な武将です。
弱々しいイメージがありますが、実際は相当の荒武将のようです。
確かに信長に冷たくされ、領土も取られ、信長のせいで母親の命も落としますが・・・・
(家康も信長のために妻と子供を失っています)
また信長に代わって天下を取ろうとしたのだろうか?

利氏と戦っていた秀吉は、暗殺直後、和睦し異例のスピ−ドでもどり光秀を討ちます。事前に信長の暗殺を知っていて準備をしていた?

殺後、朝廷は密かに祝宴をあげました。

康を祀ってある日光東照宮のそばに、光秀を祭ってある山があります。

て、真相は? なぞは深まるばかりです。

長は「敦盛」をこよなく愛していました。
「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとく・・・・・・」
49歳にして、天下統一を果たす目前の死は、さぞ無念だったろう。
しかし、「信長公記」では、信長が最後に「是非に及ばず」と言ったそうです。
潔さと無常観を感じずにはいられない。
歴史に「もし」はタブ−であるが、信長がもし生きてればを考えるのは、私だけではないでしょう。

在の本能寺は「本能寺の変」後、秀吉の命令で移転しています。
写真は、本能寺跡です。
<2006.11.15>

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