きょうも歯科医はゆく。
信長の史跡めぐり その1
「桶狭間」信長の決断
田信長。
短気で残忍と一般的に思われていますが、実はやさしい面もあり、忍耐強く、また武田信玄や上杉謙信には機嫌をとるために贈り物をすることもあったそうです。これからは勝手ながら信長研究家Dr.島田の史跡めぐりです。

長の人生はピンチの連続です。
信長25歳のとき、今川義元が2万5千の兵で攻めてきました。迎え撃つ兵力はたったの2千5百、10分の1です。絶対絶命の大ピンチ。
まともに戦ったら勝ち目はありません。信長も迷いに迷ったに違いない。
情報を集め、どうしたら勝てるか模索し、覚悟を決め、決断していたのだろう。
夜が更ける前に出陣をする。そして、義元の本陣への奇襲を成功させる。
このときの信長の心境を考えると、困難に正面から戦い、生きる力強さを感じます。
Dr.島田も困難にぶつかったときは、「桶狭間の戦い」を思い、くじけないようにしています。

真は、「桶狭間古戦場跡」です。なぜか2箇所あります。
そういえば、Dr.島田の実家の近くにある「大森貝塚遺跡」も2箇所ありました。
町の境界にある史跡で、両方の町が史跡の記念碑を作るので、どうも2箇所になったようです。
<2006.9.13>

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