当地は北海道の漁村である。かつては勇壮な男社会であり、海の男たちは冬の北洋や北カムチャッカまで出かけた猛者ぞろいだった。彼等が闊歩していた昭和40年代は、歯科診療所で彼らがひとたびモメると必ず怒鳴りあいになったものだ。しかしこうした彼等も人間関係には非常に気を遣った。話を盛り上げるために多少のウソをついたり、大げさな表現をしてもアリということになっていた(当地では「カタフリ」と呼んでいる)。
しかし、漁業は衰退し、海の猛者たちも引退し、カタフリだけが残った。当地で生まれ当地で育った私にとっては特に気にもとめないことであるが、よそから来た先生にとってはストレス以外の何物でもないようである。このカタフリにまつわる話をいくつか紹介しよう。
- <昨日、歯医者から帰ってきたら、疲れで倒れてしまった>
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標準語で言い直すと、「昨日、歯医者から帰ったら疲れたので少し横になった」である。
これを解説すると、次回は来たくはないので、次回の予約を決める際に、受付のスタッフに『そんなに大変なら今日で終わりにしましょうね』と言わせるためのお決まりの文句なのである。
「横になった」を「倒れた」と言う時には、行きたくないという意思を強調するために使う。だから、タクシーで5分、予約で待ち時間なしにすぐ診療をしても「倒れる」人が、2時間パチンコしても倒れないのである。自分の口から「もう、調整には来たくありません」と言えばいいようなものであるが、それはプライドが許さないのである。
- <後でよく読んでおきます>
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標準語で言い直すと、「はい、読まないで(その文章は廃棄します)」となります。解説すると、「とある中東の国では、『明日やります=やりません』である」と半ば中傷した記事を目にしたことがあるが、当地での「後で」とは、その後は相当な確率でウヤムヤになることである。特に勉強会などで「後でよく読んでください」と言ってプリントなどを配ると、ほぼ例外なくゴミ箱行きになってしまう。そして、後日そのことを復習の意味で聞いてみると、「知りません」「習っていません」「もらっていません」の大合唱となる。
- <昨日、豆腐を食べたら入れ歯が割れた>
- <何もしないのに気づいたら、入れ歯が真っ二つになっていた。>
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これを解説してみよう。
当院の患者さまが入れ歯を壊した時に食べていた食べ物のトップは、なぜか豆腐であ
る。豆腐で入れ歯が割れることは考えにくいし、ましてや何もしないで入れ歯が2つに割れることは絶対にあり得ないことである。しかし、当地では頻繁におこるようだ。この表現で言わんとしているのは、「入れ歯が壊れた原因は分かりませんが、私には責任はありません」と考えると間違いない。ここで注意しなくてはいけないのは、「私に責任がない=歯科医師の責任」ではないことである。単に「私にはない」だけのことである。ちなみに入れ歯を壊す食物の第2位は、当地ではお粥である。
- <いや〜、先生にお任せするわ……>
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これを標準語で翻訳はできない。解説すると、一見全てお任せのようだが、この言葉を信じると後で手痛い結果となることがある。
文字通り先生に任せるのだが、「自分の思うようにならないと遠慮会釈なく断りますよ」という意味を含んでいることに気がつかなくてはいけない。そういったことだから、かえって何かにつけて注文をする患者さまの方がトラブルは少ない。この表現のグループの言葉に「いつでもいいです」がある。
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受付 「次回のご予約はいつがよろしいですか?」
患者 「いつでも、いいよ」
受付 「それでは、明日の午後3時はいかがですか?」
患者 「3時はダメだな」
受付 「それでは何時がよろしいですか?」
患者 「いつでも、いいよ」
受付 「それでは、あさっての午後2時はいかがですか」
患者 「それは、だめだ」
受付 「それでは何時がよろしいですか?」
患者 「いつでも、いいよ」
- こういった禅問答ならぬこんにゃく問答(レベルの低い禅問答を当地ではこう表現する)が果てしなく続くのである。こういう時に強く言おうものなら散々言いたいことを言ったあげく、「私はシロウトなのでわからないんです」とさも我々が患者さまをいじめているような言葉が出てくるので要注意である。
これだけでも、外から当地に来た人たちが、当地でしか通用しない表現に右往左往し困る様子が察せられるというものである。次回は、この話の続きをご紹介します。
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