何でも咬むと痛いうえに、義歯の調整を頼むと1ヶ月以上予約を待たなくてはならないそうだ。(つまり予約を事実上断られたようである)私はこの老人の義歯を拝見して少し驚いた。非常に良く出来ているのである。そして旧義歯を見て再度驚いた。床縁は短く浅い、顎提と義歯床は5mm以上開いている上に人工歯はすっかり減っていた。この義歯で20年間使っていたそうだ。 老人施設等では、ごく一部に口腔状況が良い方がいらっしゃるものの、大部分の方の口腔内状況は劣悪を通り越して悲惨である場合が少なくない。ところが当の患者さんをはじめ施設のスタッフは「歯科治療を受けると100%咀嚼能力が回復する」と思っている人が多い。 顎骨吸収が顕著な場合や咬合状態が悪い場合は、義歯を作製しても機能回復は困難であることをスタッフへいつも説明しているが、その理解は乏しく「いいんですよ、ちゃんと咬める様になれば良いんですから、贅沢は言いませんから」と言われたことがある。又義歯を入れた後、調整を後日しようとしたら、「どうして調整が必要なのか?ちゃんと調整しなかったのか?」と聞かれたこともある。無資格者ならまだしも、有資格者までも同様な認識を持っていることが多く、憤りを通り越して悲しくなってしまう。 そしてそうこうしているうちに、「患者さんが上手に咬めない=歯科医師が下手」という図式が出来上がってしまう。かくいう一生懸命に取り組めば取り組む程、その歯科医師の悪評は広まって行くのである。当然施設内でも「あの先生は下手だ」という噂は一人歩きし結果として職員が他院へ通院する例も少なくない。しかし初めの一人が首尾よく行き、次の患者さんがスムーズに受診出来たら、反対に「名医の誉れ」は急速に広まっていくようである。こういった施設内の歯科に対する噂は1人の歯科医師を名医に仕立て上げたり、又下手な歯科医師にもする。そう噂をおそれる余り、訪問診療を拒否したり、萎縮診療になったりしている事例を散見する。 私の先輩で家庭等の事情で様々な差別や偏見を受けた先生がいた。今では家庭を持ち日々立派な診療をしている。この先生の口ぐせは「決して自分を見失ってはいけない」という言葉であった。今では私の座右の銘の1つとなっている。 | |
| <2001.6.8> |
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