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ベッドの横では息子が、スターウォーズ・エピソードのDVDを見ている。 「今、何時?」「知らん!」 どのくらい眠っていたのだろう。非常に心地よい。しかし、体が動かない。 数時間前に3万人が参加したホノルルマラソンにゴールした。 1年間、この日のこの瞬間のために行った様々なことが、終わった。 そして、2003年JALホノルルマラソンへの道が始まった。 これは、マラソンなどと無縁の生活をしていた私の、つれづれなるままに綴ったホノルルマラソンのエピソードである。 |
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夜9時にはすっかり眠りについていたようだ。 だが、0時30分、ばっちり目が覚めてしまった。これだけの睡眠時間で初マラソンに耐えられるのだろうか。 「なんとかなるやろ」などと考えながら、とりあえずシャワーする。 そして、食事。とにかく腹いっぱいに食べることが原則である。 なんでも形から入る私は、このマラソン出場を決意した日に「誰でも成功するフルマラソン…」「知識ゼロからの…」などの入門本を購入した。そして、雑誌は、パソコンものからランナーズへと変わった。ちなみにその頃揃えたものは、ランニングシューズはもちろん、ウインドブレーカー、タイマー付き時計、スポーツ用サングラス、耳あて、レース用ウエア、ウエストポーチ、グローブ、シューズケース、ランニング用靴下(5本指に分かれているもの)、プロテインをシェイクする容器等々、 まずは形からである。 そのバイブルにのっとり、腹いっぱい食べた。前日買っておいたおにぎり弁当、バナナ2本、アミノバイタルのゼリー、そして水分を十分にとる。 お腹いっぱいになったところで、ウエアに着替える。そして、外へ散歩に出てみた。 少し肌寒い。深夜2時すぎ、買い物帰りの人がいる。警官がだれかと大きな声で話している。 ホテルの前で軽くストレッチなどしてみた。ホテルのポーターさんが話しかけてきた。 「マラソンに出るのか。幸運を祈る!」 |
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ゴール地点からスタート地点まで、無料のシャトルバスが出ているため、まずゴール地点のバス乗り場へ向かった。ホテルから歩いて約10分。 すると、洋画によく出てくるSchool Busが列をなしていた。これがシャトルバスだ。そしてスタート地点であるアラモアナパークへと運んでくれる。 3時すぎ、アラモアナパークはすでに人であふれていた。スタートまで、まだ時間がある。近くのセブンイレブンによってみた。偶然にも、前日ゼッケンを受け取りにいったホテルのEXPO会場で話をした日系のナイスガイに出会った。 「おたがいがんばりましょう」のような簡単な単語を残し人混みに消えていった。 もちろん、それまで実感していなかった訳ではないのだが、 「やっとここまできた!」感じである。 |
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はじめホノルルマラソンに出てみたいと言い出したのは、妻である。正月番組でホノルルマラソンの模様が放送されていたときのことだった。私はその話に即乗った。しかし、女性という生き物は非常に現実的である。理数系出身である彼女にマラソンを走ること=日に焼ける、しんどい、それならマラソンぬきのハワイ旅行という方程式が番組の終了とともに完成していた。 非現実的である私はというと・・・ もう、頭の中ではマラソンランナーである(もちろん、フルマラソンの経験などない)。 その日初詣に行く予定をしていたので、さっそく完走祈願に詣でた。 それまでは、運動など無縁の生活。勢いで入会したスポーツジムには、会費だけ払い、思い出した頃に行って、ジャグジーにつかりサウナからあがってビールを飲む(これがまた旨い!)くらいであった。そして、シェリー酒か赤ワインを毎晩1本飲み干す。 おかげである日、痛い目にあった。急性膵炎、危篤一歩前。それはそれは痛かった。夜中、激痛で涙が止まらなかった。もちろん即入院である。絶飲絶食の日々が続く。点滴の針が両腕にささっている。身動きがまったくとれない状態だった。鎖につながれた犬の気持ちがよくわかった。痛みの落ち着きをみはからい退院を願い出た。さいわい、義父が医師であり点滴の設備もあるため、点滴と血液検査を続けることで承諾してもらった。入院されている方には申し訳ないが、あんなところにいたら健康な人でも、病人になってしまう。病人だった私が言うのも変だが。たくさんの人にご迷惑をかけた。早く復帰しようと思うのだが、まず体が動かない。数日間の絶飲絶食で、うまく食事ができない。そして、次に待っていたのが臀部の疾患である。すなわち、痔だ。本当に痛い目にあった。 この体験が結果的にマラソン出場をふみきった1つの要因である。 |
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目標タイム・・・目標は完走でありタイムではない。とりあえず、真ん中くらいでスタートを待った。 前大会のスターターは、シアトルマリナーズの佐々木選手だったらしい。
何かのアナウンスと共に音楽が流れている。マラソンツアーの団体が歓声をあげている。様々な音が混ざりあい、うねるような騒音が心地よい。突然、夜空に花火があがった。少しずつスタートラインに近づいている。スタートしたのだろうか。 しかし、かなりの人なので、走るという状態ではない。花火はまだあがっている。 数分後スタートラインを超えた(かなり長く感じた・・・)。 これからまだ経験したことのない、しかしマラソンランナーなら必ず一度は経験する42.195kmの初めての一歩をふみだした。まさにスタート!であるのだが・・・ |
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すでに歩いている人がいる。タイガーマスクの着ぐるみを着た人が走っている。頭に白鳥の人形をつけた人が走っている。何か訳のわからない大きなトランクケースくらいある箱をひっぱっている人たちがいる。楽しんでいる。そして、沿道の人たちも。周りはまだ暗い。朝の5時過ぎだ。約3km地点通過、ダウンタウンのクリスマスイルミネーションがすばらしい。ワイキキビーチ沿いのカラカウア通りには、大勢の人が集まっている、10km地点は目前。そして、ダイヤモンドヘッド。約2kmの上り坂をあがりきったところで水平線にあがる太陽をみた。海が朝日を浴びてキラキラ光っている。写真のようだ。しかしすべて現実である。私は走っている。大きな家が建ち並んでいる。高級住宅がならぶカハラ地区。たくさんの子供達が手を振ってくれている。少し前に、復路の黒人ランナーとすれちがった。何者なんだ。やつらは、もうすぐゴールする。私たちは、まだ16kmあたりだというのに・・・。彼らに声援をおくった。走りながらランナー達に声援を送り、声援をおくってくれる沿道の人達とハイタッチする。7kmも延々と続くハイウェイにさしかかった。先はまだまだ長い。昨日、妻にモーニングコールを頼まれていた。実は、携帯電話を持ちながら走っていた。 時間は、朝8時。ちょうどその頃、半分の21kmあたりを走っているところだった。妻は、完全に目覚めていた。後で聞いた話だが、朝5時過ぎ頃から、ホテルの部屋の中まで聞こえるものすごい歓声で起きたようだ。なにげにラナイから外を見た。どこまでも続くランナーの集団に吸い込まれ、目の前のホノルルマラソンに言葉にならない感動をあじわっていたようだ。そしてこの瞬間、来年のホノルルマラソン出場も決定していた。言うまでもないが、妻の出場ではない。やはり現実的だった。 その頃私は、膝の痛みと戦っていた。エイドステーションごとにテーピングとアイシングをしてもらい、ストレッチを繰り返しながら走った。まるで、夏のテレビ番組で長い距離を走る芸能人がやってもらっているように。エイドステーションで待機しているのは、ボランティアの方々だ。非常にありがたい。しかし、しばらく走るとまた、痛みが再発する。おかげで、次のエイドステーションを目指すという目標ができ、楽になった。時には歩いている人に抜かれているが・・・。 |
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