|
|
| Vol.39-2004.5 |
|
私が住んでいる街岩手県水沢市は、南部鉄器・風鈴の産地としても知られており、毎年7月、恒例行事として「水沢鋳物まつり」が開かれています。 例年「鋳物料理講習」を担当していますが、一昨年のテーマは「アテルイ」。アテルイ(阿弖流為)は、今から千年以上前の奈良時代末期から平安時代にかけて、現在の岩手県胆沢地方で活躍した蝦夷(エミシ)のリーダーです。地元は一昨年「没後1200年」で盛り上がりました。 しかし、料理のテーマとしてはあまりにも漠然とした課題にとまどってしまいました。が、水沢市埋蔵文化センターで有力なヒントをいただきました。当時の食文化の一端が再現されているのです。 当時は、すでに仏教が広くゆきわたっており、一般庶民は殺生をきらいヨツアシは食べなかったようです。しかし、平安初期802年に坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が築城した胆沢城では中央から来る上級役人の食事には、鹿やイノシシの肉を出していたらしいという事が、発掘された出土品で確認されています。
再現された上級役人の食事のメニューは右のとおり。 もちろんこれは、「ごちそう」の特別食だとおもいます。ちなみに、下級役人は玄米飯にヒジキの煮物程度の食事だったらしいのです。一般庶民に至っては、普段は雑穀を主食にしており、米飯はオカユにして特別の日に食べたようです。(蛋白質は主として魚と大豆から摂取) 鮑や雲丹・わかめなど海の物も多く三陸沿岸から山越えで運ばれていたらしく、ほとんど塩蔵にして保存され、魚醤の類の調味料も記録にあります。 調味料といえば、米飯→酒→酢や、醤(ひしお)→醤油→味噌等の加工品もその原型が現れ、材料の穀類の種類も豊富だったようです。雑穀や大豆・海草といったミネラルやファイバーがたっぷりの食材に天然発酵の調味料という、現代人が高いお金を出してもとめる理想的なヘルシーメニューを、1200年前の人々が食していた、というのは興味深いことです。 私が鋳物まつりで披露したりょんりょん風「アテルイの食卓」は以下のとおりです。
|
||||||||||||||||||||||||||||||||
| 及川喜久子さんのプロフィールはこちら |
| INDEX |