味彩通信
Vol.38-2004.4
花よりハーブ

 “吉本ばなな”あらため、“よしもとばなな”のデビュー作「キッチン」は、幼い頃両親に死に別れ、引き取られていた祖父母も亡くなり、天涯孤独の身となったみかげという女の子が主人公。ふとしたきっかけから雄一という男の子とその母親(実はわけあって美しいオカマに転じた父親)と共に暮らすことになり、そのちょっとへんてこな生活の中で孤独をいやしていくというお話し。「私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う。」という出だしで始まるこの小説は、日本のみならず世界各国で翻訳されている日本文学の新しい名作のひとつです。

 私も学生の頃から、折りに触れ読み返している大好きな小説なのですが、その中でおかまの母親がみかげに、こんなことをつぶやくシーンがあります。
『本当にひとり立ちしたい人は、何かを育てるといいのよね。子どもとかさ、鉢植えとかね。そうすると、自分の限界がわかるのよ。そこからが始まりなのよ』。

 この部分に触発されて、というわけでもないのですが、私も数年前からベランダでいくつか植物を育てています。といってもそこはいやしんぼの考えること。見て楽しむだけでなく、実(じつ)を取りたいので、パセリ、ローズマリー、ミントなどなど、育ったあかつきには口に入るものがほとんどです。しかもこれらのハーブはもともとが雑草に近いようなもので、私のような横着ものでも、比較的簡単に育てられるのも魅力。もちろん中には、はかなくお亡くなりになってしまうものもあります。昨年は出張でちょっと家を空けている間に、小さな鉢植えの山椒がすっかり弱り果ててしまいました。あわてて水を注いでも、時すでに遅し。見る見る間に葉は枯れ落ち、細っこい枝を残すのみ。それでも、この冬の間、なんとなくほかの鉢のついでに水をやっていたら…。なぁんと!先日、いつのまにか小さな葉っぱをつけているのを発見しました。うっうっ、なんといじらしい。冷たい仕打ちにも、冬の風にも負けず、固い土の下で春の日を待っていたのです。私の横着と限界を超えて、勝手にすくすくと育った小さな命にしばし感動。

 そして、ありがとね、ありがとね、とつぶやきながら、ぷちぷちと葉をむしる私。指の先からは、緑の香りがふわり。ふっふっふ、今日は山椒ごはんだぁ!さっきのおごそかな気持ちもどこへやら、気持ちはすでに、今晩の食卓へまっしぐら。
 もうちょっと大きく育ったらたけのこの田楽もいいし、鰆の山椒味噌焼きもいいかも、と妄想は広がるばかり。己の精神の限界はおろか、食欲の限界を知るにもまだまだ道は遠いみたい。
佐伯明子

佐伯明子さんのプロフィールはこちら


INDEX